東北復興支援写真展 「TSUNAMI」@原宿パークサイドオオサキ
原宿パークサイドオオサキ2Fで行われている、東北復興支援写真展 「TSUNAMI」のプレスカンファレンスにお邪魔して来ました。
この写真展は、2011年6月4日(土)~12日(日)に開催。今回の震災で壊滅的被害を受けた、陸前高田市の震災直後の模様を、地元出身の写真家、上田 聡(うえだ さとし)さんが撮ったものです。
3月11日の日、関東にいて被害状況がまだわからないままニュースを聞いていて、最初の衝撃的ニュースが、「陸前高田市がほぼ壊滅状態」というものでした。
陸前高田市については何の知識もなかったのですが、村落とかでなく、仮にも「市」がひとつ無くなるほどの規模の災害ということに、心の底から驚き、恐れも抱き、胸を痛めたのを鮮明に覚えています。
上田さんは、震災5日後に行方不明のお母様と弟さんを探しに現地入りし、生まれ故郷の変わり果てた姿にショックを受けながらも写真を撮り続けました。
弟さんはすぐ無事が確認できましたが、お母様は残念なことに亡くなっていて、上田さんが現地を離れてから発見されたそうです。
会場では、その震災直後の市内の悲惨な状況の写真と、その写真を織り交ぜて心境などを語っている映像、そして、復興に向けて動く現地の人々の様子の写真が展示されています。
ポスターやフライヤーに使われている、がれきの中に置かれたテディベアの写真は本当に衝撃的です。
このぬいぐるみは、がれきの中の写真やアルバムなどの思い出の品と一緒に、どなたかが拾い上げて、このような形で置いておいてくれたものを、上田さんがそのまま撮影されたものだそうです。
このくまが直前まで属していた平穏だっただろう生活、小さな子どもが毎日抱いて寝ていたのかもしれないし、大人のひとが疲れて帰って来て話しかけてたのかもしれない、おじいちゃんおばちゃんが、今度孫が遊びにきたらあげようと置いてあったのかもしれない ... など色々想いを馳せると本当に本当に胸が痛みます。
その他会場風景です。
上田さんが渡航して写真展を開いたイタリアの方々からのものも入っている、支援の寄せ書き。
この日、小栗慎介 with ゆりまるによる、復興を願った「Con Te Partirò」(君とともに旅立とう)の演奏も行われました。この様子はビデオでも撮ったので、また別途公開する機会などもあると思います。
当日の小栗さんの感想などは、ご本人のブログにて。
展覧会は、原宿のキャットストリートにある、素敵なビルの2階で12日の日曜日まで行われています。
ぜひぜひ行ってみてください。
詳細→展覧会公式サイト
余談ですが、震災の後、作家の吉村昭さんが昭和45年に出した「三陸海岸大津波」という本を読んだのです。
明治、昭和と大津波に襲われた、三陸の地のドキュメンタリーです。
この本の最後に書かれていることが、印象的です。
この地に津波が無くなることはないけれど、堤防が建設されたり、迷信に惑わされて避難が遅れることもあった昔とくらべて科学的な情報も行き渡り、予報や警報も出せるようになったりしたので、多くの人が死ぬことはもうないだろう、と。
昭和45年、科学の発展と恩恵を信じていられた時代だからこその希望に満ちた予想。しかし、実際は、何十年も経ってから、このような未曾有の津波災害に加えて、原発の事故と言う新たな被害まで起こるとは!
この先、たとえ行きつ戻りつでも、人間が少しでも先に進むことができることを信じたいです。
この写真展は、2011年6月4日(土)~12日(日)に開催。今回の震災で壊滅的被害を受けた、陸前高田市の震災直後の模様を、地元出身の写真家、上田 聡(うえだ さとし)さんが撮ったものです。
3月11日の日、関東にいて被害状況がまだわからないままニュースを聞いていて、最初の衝撃的ニュースが、「陸前高田市がほぼ壊滅状態」というものでした。
陸前高田市については何の知識もなかったのですが、村落とかでなく、仮にも「市」がひとつ無くなるほどの規模の災害ということに、心の底から驚き、恐れも抱き、胸を痛めたのを鮮明に覚えています。
上田さんは、震災5日後に行方不明のお母様と弟さんを探しに現地入りし、生まれ故郷の変わり果てた姿にショックを受けながらも写真を撮り続けました。
弟さんはすぐ無事が確認できましたが、お母様は残念なことに亡くなっていて、上田さんが現地を離れてから発見されたそうです。
会場では、その震災直後の市内の悲惨な状況の写真と、その写真を織り交ぜて心境などを語っている映像、そして、復興に向けて動く現地の人々の様子の写真が展示されています。
ポスターやフライヤーに使われている、がれきの中に置かれたテディベアの写真は本当に衝撃的です。
このぬいぐるみは、がれきの中の写真やアルバムなどの思い出の品と一緒に、どなたかが拾い上げて、このような形で置いておいてくれたものを、上田さんがそのまま撮影されたものだそうです。
このくまが直前まで属していた平穏だっただろう生活、小さな子どもが毎日抱いて寝ていたのかもしれないし、大人のひとが疲れて帰って来て話しかけてたのかもしれない、おじいちゃんおばちゃんが、今度孫が遊びにきたらあげようと置いてあったのかもしれない ... など色々想いを馳せると本当に本当に胸が痛みます。
その他会場風景です。
上田さんが渡航して写真展を開いたイタリアの方々からのものも入っている、支援の寄せ書き。
この日、小栗慎介 with ゆりまるによる、復興を願った「Con Te Partirò」(君とともに旅立とう)の演奏も行われました。この様子はビデオでも撮ったので、また別途公開する機会などもあると思います。
当日の小栗さんの感想などは、ご本人のブログにて。
展覧会は、原宿のキャットストリートにある、素敵なビルの2階で12日の日曜日まで行われています。
ぜひぜひ行ってみてください。
詳細→展覧会公式サイト
余談ですが、震災の後、作家の吉村昭さんが昭和45年に出した「三陸海岸大津波」という本を読んだのです。
明治、昭和と大津波に襲われた、三陸の地のドキュメンタリーです。
この本の最後に書かれていることが、印象的です。
この地に津波が無くなることはないけれど、堤防が建設されたり、迷信に惑わされて避難が遅れることもあった昔とくらべて科学的な情報も行き渡り、予報や警報も出せるようになったりしたので、多くの人が死ぬことはもうないだろう、と。
昭和45年、科学の発展と恩恵を信じていられた時代だからこその希望に満ちた予想。しかし、実際は、何十年も経ってから、このような未曾有の津波災害に加えて、原発の事故と言う新たな被害まで起こるとは!
この先、たとえ行きつ戻りつでも、人間が少しでも先に進むことができることを信じたいです。
by zebby_kk
| 2011-06-04 16:01
| 写真の話